頭蓋骨縫合早期癒合症と診断されまして。。

頭蓋骨縫合早期癒合症と診断されまして。。

2016年4月に生まれた可愛い息子が突然謎の病名を告げられました。。同じように診断されたママ・パパのために…。

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今まで過去に遡って一個一個見ていかなくては
行けずに不便だったので作成しました。
見たいところにダイレクトに飛んでください。

 

●子どもの手術に関すること

■Blogを始めるにあたり

■頭蓋骨縫合早期癒合症で自分で調べたこと。

■僕は漏斗胸  親子でレアカード引きました。

■頭の形がおかしい?

■病院での確定診断から手術に向けての検査入院まで…。

■いよいよ入院。

■手術日当日。

■手術室紹介動画

■術後から退院までの話

■手術後抜糸前の写真。

■術前術後CT画像の比較

■マクドナルドハウス

■抜糸後1週間ぐらいの様子

■退院後に焦ってドキドキしたこと。

■術後半年が過ぎ…るまであとちょっと。

■術後半年検診してきました。

■最近のトマト君の頭の形。

■形成外科定期検診

■術後と術後半年CT画像比較 とろとろチーズ。

■10ヶ月目脳神経外科定期検診

■手術の様子。

■一年経過して…。

■手術に際して質問したこと…脳みそ。

■病気に関して子供へ申し訳ないという気持ち

■形成外科術後検診 術後1年7ヶ月後

■手術から2年経ちました

■手術2年後検診

■手術2年経って次の試練…。

急遽脳神経外科診察。

■形成外科術後検診 術後2年1ヶ月後

■【祝】ラムダ縫合早期癒合骨延長手術終了

■ラムダ縫合早期癒合、骨延長手術前後のCT比較

■術後の頭の様子。

■延長器抜去手術が決まりました。

■いよいよ手術…

■骨延長器の抜去手術無事終了。 

■チタン製の延長器具。

■ピアノの発表会が無事終わりました。

■骨延長術術後一年半定期検診 CT比較

■手術するなら早ければ早いほどいい。 っと思う

■知能検査(多分WISC-IV)を受けてきましたf:id:blooming_climbing:20190725035726p:plain 2022/11/14

●頭蓋骨縫合早期癒合症関連

 ■頭蓋骨縫合早期癒合症(舟状頭蓋)ママのリンクを追加しました。

■延長法で手術したチェイ君&ママのBlogのリンクを追加しました。

■できるの? ヘルメットで矯正。

■頭蓋縫合早期癒合症における癒合部の病態解明

■頭蓋骨縫合早期癒合症 いくつかの病院の治療実績(都内近郊)

■クルーゾン症候群やアペール症候群など、症候群性頭蓋縫合早期癒合症の原因と症状

■1日のアクセス数がいきなり1000を超えた…。

■東京都立小児総合医療センター脳外科2017年診療実績

■非症候群性頭蓋縫合早期癒合症の患者の集団における家族内発生率と伴う症状

■蓋縫合早期癒合症の治療‐チーム医療の実践‐ ―形成外科―

■難病のため歩けなくなると宣告された2歳児が「10年後に国際的なダンス大会で優勝」! 人気映画シリーズに出演も果たす

■【乳幼児の頭蓋骨変形へ新治療法 岡山大病院、データ活用し微調整】

 

●その他

■EXCELで育児一言日記をつけよう!

■「早生まれ」「遅生まれ」の差はでかい

■新生児が感じている「痛みの強さ」

■臓器提供者になったわが子 ――「家族に遺された光です」

■あなたは「出生前診断」受けたいと思いますか? もしお腹の子に障がいがあると分かったら

■わかりやすい妊娠週数一覧表

■不妊治療をしたときの貴重な写真たち

■イクメンって言うけど…。

■【レシピ】鶏肉ハンバーグ。

 

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知能検査(多分WISC-IV)を受けてきました

皆様ご無沙汰してます
とまと君は年長さんになりすくすくと大きくなっています
もう少しで小学生
ランドセルも購入しました。

で、6歳になったのでと先日知能検査を受けてきました。
前回受けたのは2歳のとき
「やや発達が遅れてる。2歳なので正確な診断は難しい」
という結果でした。

今回は大きくなり色々できるようになっての診断。
検査の内容については調べれば出てきますのでとまと君の話を。

何したのー?って聞いたら、文字を逆さまから読んだり
絵と同じように積み木を重ねたりしたようです。
しかも入っていって15分くらいで出てきたみたい。


以下は先生から頂いた診断

<全検査IQ 及び指標得点> 

「全検査IQ」:99


「言語理解」:115
言語的な思考をしたり、言葉で説明する能力は平均~高い水準
個人内で得意としている領域である。
特に抽象的な思考力が語彙力が優れている。

「知覚推理」:80
視覚的な情報をもとに推論する能力は境界域~平均の下の水準
個人内で苦手としている領域である。
特に与えられ視覚情報からパターンや規則を導き出すことが苦手

「ワーキングメモリー」:91
物事を短期的に記憶に留めて、操作する能力は平均の下~平均水準
語音整列では教示を理解できずに、得点を積み重ねられなかった

「処理速度」:107
物事を事務的にスピーディーに作業する能力は平均~平均の上の水準
時間を意識して、作業することが出来る
ミスは全体で二つで、おおむね正確に作業することが出来る。

<まとめ>
全体的知的水準を示す全検査IQ=99は平均の水準
ただし、指標得点のばらつき が大きく、数値で期待される能力を
発揮することが難しいときあると推測される。
指標得点を見ると、『言語理解』 > 『知覚推理』 で言語優位である。
集中力高く、意欲的に物事に取り組むことが出来る。
検査場面では多動な様子は見られなかった。
知能検査は今回の受検がはじめてなので、定期的に受検。
経過が見守られるとよいだろう。

 

っということでした。

 

この結果を見返す感じでは病気による知的な影響はなさそうです。
脳神経外科の先生の仰った「脳の可能性を広げるための手術」
この言葉を信じて手術の決断をしておいてよかったと思います。

 

写真は先日のピアノの発表会の位置合わせ…

この話はまた次…。

手術するなら早ければ早いほどいい。 っと思う

すごくご無沙汰しています。

トマト君は5歳になり幼稚園に元気に通っています。
5歳にしてようやく床屋さんデビューをしました。
今までは手術で一気に髪を切りそのまま伸び放題。
たまにママがハサミで鋤いていました。

床屋さんが上手に傷跡をみえないようカットしてくれました。

f:id:blooming_climbing:20211208030410p:plain



後頭部はやはり段差がちょっと感じられますね。

ところで、先日ツイッターで6か月ぐらいで手術をした
ママさんとたまたま(頭蓋骨縫合早期癒合症でエゴサ
知り合うことができました。

その子は6か月ぐらいで内視鏡+ヘルメット治療。
その際に手術跡の図を描いていらっしゃったので
許可をいただきうちの子の手術跡との比較を。

左がその子で右がうちの子

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圧倒的にうちの子が手術跡すごいんです。
前もどっかの記事で書いたのですが6か月くらいまでだと
内視鏡でちょっと切ってヘルメットで済むこともあるようです。

うちの子の場合例えばプールで頭が濡れると…

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勇者の証が出現します

 

先日の定期検診では、手術跡の幅が広くなっているので
審美的な面で幅を狭める手術しますか?と言われたのですが
まだ迷い中…。

 

最後に先日撮った七五三の前撮り。
どんどん大きくなり機器除去の手術からも
もう2年が経ちました…。

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骨延長術術後一年半定期検診 CT比較

術後一年半の検診からはや数ヶ月…
とまと君は年中さんになっています。

どんどん大きくなりますね…
楽しく幼稚園に通っています。
お誕生日会で好きな食べ物は?っと聞かれ

ホタルイカ

 

順調に育ってますね…。

 

さて本題に戻って…
骨延長術術後の1年半後の検診がありました。

途中にも何回か検診があったのですが特に進展?
変化?がないので特に書いていませんでした。

今回はCT
では早速

延長法術前→延長器固定中→術後1年半の順です
一番インパクトのある上側

f:id:blooming_climbing:20210510015719j:plain
ほぼ埋まりきってる感じです(先生の診断も)
1年半でこれだけ骨も成長するんですね。
毎回すごいなと思います。

次は左側f:id:blooming_climbing:20210510022951j:plain
術前は後頭部が下がり気味だったのですが
術後はきれいに頭部中心よりちょっと後ろが頂点。
脳神経外科の先生は理想の形!っとおっしゃっていました。
継ぎ目はほぼ埋まり後頭部の段差もなめらかになりました。
髪は仕方ないのですがこの段差のとこで浮いてます。

後ろから。f:id:blooming_climbing:20210510023913j:plain
おおよそきれいな丸み…かな。
自然な形とは行きませんが。

右側とそんなに変わらないですが左側
f:id:blooming_climbing:20210510025612j:plain

そして最後に正面

f:id:blooming_climbing:20210510025701j:plain
おおよそきれいな形になっています。

まだ隙間は若干あるのですが日常生活は問題なしと
先生からお墨付きも頂きました。

ただサッカーでヘディングはしないほうがいいと。
そもそも論ヘディングの脳への影響があるから
しないほうがいいですけどねと。

そんなこんなで一応一通り終わった感じになります。
長かったなぁ~…

もう一つ問題点があるのですがこれは次の話に…。

 

 

 

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ピアノの発表会が無事終わりました。

延長機を外し、抜糸後の記事も書かずに約1年。
皆様いかがお過ごしでしょうか。


一定数の方にまだみていただいていたり
Twitterでも見てましたという方がいたり
ありがたいことです。

骨形成術と骨延長術どちらも受けたトマト君。
記事をもうちょっと綺麗にまとめるべきかなと
思いつつも、日常に終われ放置していました

タイトルのお話なのですが。
トマト君3歳半からピアノをはじめました。
ピアノやると楽しいかなっと軽い気持ちです。
そして約1年、ついに発表会がありました。

youtu.be

何回見ても聞いても感動してしまいます。
アップしたのは静止画なのですが動画では
表情豊かに弾いています。

子供は可能性を色々秘めていますね…。

 

裏話ですが…。
当日発表会は一番チビなので一番バッターで。
場当たり等もなく舞台に出てパニックトマト君。
まず逃げ出そうとする…。

先生になだめられ座ったものの、僕を舞台に呼び出す。
ピアノに手をおいた瞬間、ピアニストの顔になる。
弾いた後、我に返る脱走を図る…。

舞台に出たおかげで迫力のある表情豊かな動画が
撮れたのですが…

また、延長機外し&抜糸後の写真とかを整理して
記事にしようと思いますが、最近も元気ですよと
言うニュースでした…

 

 

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【子どもを連れて郊外へ疎開した翌朝】 2020/8/6 追記

8/6

今日は広島をルーツに持つ僕にとっては
とっても大切な日…。
絶対忘れてはいけない日です。

トマトくんよりちょっとお兄ちゃんの裕くん
そのパパ啓三さん、ママの満枝さんが犠牲に。

 平和な世の中になりますように…。

 

 f:id:blooming_climbing:20200806122125j:plain

登場人物

手前左から
 トマトくんの曾祖母ちゃんのお祖父ちゃん(文中:父)
 トマトくんの曾祖母ちゃんのお祖母ちゃん(文中:母)
 満枝(文中:兄嫁)、裕(文中:孫・六歳の息子とか)

後列
 啓三(文中:兄)、手記を書いたおばさん。


親戚のおばさんがその家族を看取った時の話です。
ちょっと読みにくいですがぜひ…。

 

私は昭和二十年四月、東京都杉並区から、義父一人が住んでいる広島市愛宕(あたご)町へ子ども二人(三歳と二歳)を連れて疎開しました。しかし、毎日毎晩の空襲で、防空壕のない家は大変恐ろしく、もう少し田舎へ疎開をしたいと思い、義理の祖母が一人住んでいる母の実家(古市町)へ再疎開することにしました。八月四日、借りた大八車にわずかな荷物と子どもを積んで、義父と共に二里(約八キロメートル)の道のりを五時間かけて、やっと夕方、目的の古市東野北の庄の家に着きました。


 f:id:blooming_climbing:20190806210652j:plain
(文中:兄嫁、兄)

 次の朝、大八車を返すために、またまた二人の子どもを大八車に乗せ、愛宕町へ行きました。夕方になっていたこともあり、義父は私の実家(小町(こまち))へ泊まっていくよう言ってくれました。しかし、結婚して近所の方々とも疎遠になってしまいましたし、万一の時助けてもらえないと困ると思い、下の子をおんぶし、上の子の手を引いて電車で古市へ帰りました。家に着いたら九時。それから夕食を食べ、やっと寝ることができました。

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(文中:兄嫁、甥、母)

 

次の朝、八月六日。朝食を済ませて後片付けをしている時に、ドーンと大きな音がして南の空にきのこ雲がムクムクと高く上がりました。雨戸は吹き飛んで倒れ、ふすまも倒れ、戸棚の上に置いてあったラジオも吹き飛ばされて聞こえなくなりました。初めは、古市の一つ手前の駅、祇園にある軍需工場が爆撃されたのかと思いました。が、そのうち、何でも広島市内に大型のすごい爆弾が落とされたという噂が流れてきました。皆どこに避難すればよいのか分かりません。周りは田んぼで、もちろん防空壕などはありません。当時太田川の沿岸は竹(たけ)藪(やぶ)が続いていました。村の人たちの「竹藪に逃げろ!」と言う声で、夏布団を頭からかぶって出掛けようとした時です。黒い雨が降り出したのです。

 

B29も飛ばす、爆撃もない。雨が止んだら逃げようと言いながらも、ただ南の空のきのこ雲を心配しながら眺めていました。そのうち南の空に大きな赤い火の手が上がり、一日中燃え続けておりました。私は広島市内の小町に住んでいる兄たちが心配でしたが、どうすることもできず一夜を過ごしました。

 

大型の新しい爆弾が落とされたと分かったのは、次の日になってです。そして、それが原子爆弾と分かったのはその後でした。八月六日の原爆投下時、母はたまたま食料調達のために温品(ぬくしな)の姉の家に行っており、幸い被爆から免れました。その母は小町の兄一家のことが気にかかるのでどうしても行ってみるということで、八月七日に一人で小町へ帰って行きました。そこで見たのは、そっくり残っているのは門柱とコンクリートの壁だけ、家は跡形もなく焼け、周りは焼け野原と化し、中国電


力の建物だけが不気味に残って、広島中が遠く見渡せ、大きな樹木が所々に枯れ木のようになって不気味に突っ立っている風景だったそうです。

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(文中:中国電力の建物 目の前には路面電車の線路。
    兄夫婦はここを通ったと思われる

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(文中:日赤病院)

呆然と焼け跡を見ているときに、たまたま近所の方が通りかかられ、兄たちは日赤病院にいることを教えてくれました。大急ぎで駆け付けたところ、病院の前の庭には怪我をしたり、火傷をしたたくさんの人が座ったり、寝転がったりしていました。その中から、やっと兄たちを見つけ出し、母は兄夫婦と孫の亡骸を抱いて、夜遅くやっとの思いで温品に運びました。その時は、まだ兄も兄嫁も落ち着いてしっかりしており、原爆投下された時の様子を次のようにボツボツ話し出したと、母から聞きました。

 

 

「六日の朝、空襲警報は解除になったので、私は物置へ行こうと通路に出、六歳の息子はトイレに入っていました。その時原爆が投下され、一瞬のうちに家は西側に倒れ、東側の廊下にいた夫は足が梁(はり)の下敷きになってしまいました。私はたまたま無傷で、やっと夫の体を引きずり出し、二人でトイレの中にいる息子を引き出しました。とにかく家から離れないと火に囲まれる恐れがあると思い、三十メートル西にある広島一中の門の脇に大きな防火用水槽があったのを思い出し、その中へひとまず三人で浸かっていました。火の手が近づいてくると、頭から水をかぶりながら火の難を避けていました。夕方、ようやく火が落ち着きましたが、ここにいては助けてもらえないと思い、私は子どもを抱き、夫は痛い足を引きずりながらやっと中電の前の電車道まで行き、転がっていたところを軍隊に収容され、千田町の日赤病院まで連れて行かれ、病院の庭で一晩明かしました。そこで、息子はかわいそうに息を引き取りました」。こう義姉は話していたそうです。

 

八月八日。B29はまだ飛んでいるので、市内に出て行くのは恐ろしいけれど、私は兄たちがどうしているか心配で心配で、どうしようもありませんでした。温品に住んでいる姉の家に行けば何か分かるかもしれないと思い、ともかく温品へ行くことにしました。二人の子どもを義父の手製の簡単な小さな荷車に乗せ、古市東野から太田川を渡し舟で戸坂(へさか)側の岸に着き、土手を登り、上の道まで荷車と子どもを運び上げ、温品へ通じる農道をもくもくと歩いたものです。途中、広島市内方面からソロリソロリと顔や手足をやけどした人たちが吉田や甲立(こうたち)の方へ向けて歩いているのに出会いました。顔は二倍くらいに腫れ上がり、両手は心臓より上に挙げて、おばけのような格好をして、黙ってゆっくりゆっくり苦しそうに歩いていく姿は、今も目に焼き付いております。途中の国民学校で炊き出しをしていま続けていました。

 

私たちは、四時間以上かかってやっと姉の家に着きました。そこに兄、兄嫁と母が収容されており、ちょっと安心しました。しかし、甥の姿はありませんでした。八月七日に亡くなった甥の亡骸は、なんとか元気だった兄嫁、母そして温品の姉たちとで、村の人たちに手伝ってもらって、既に荼毘(だび)に付されていました。もちろん、お寺さんもいない火葬でした。この頃になって兄は足の激痛がひどくなり、苦しんでいました。会社の医師が見舞ってくれ、痛み止めの注射をしてくれていました。そんな兄夫婦が気になりながらも私たちは、まだまだ空襲があるかもしれないので早々に温品の家を引き引き揚げ、また太田川を渡し舟に乗って渡り、古市にやっとの思いで帰りました。

 

それから三日後、温品に出掛けてみると、兄嫁が泣きながら、昨晩兄が亡くなったと話してくれました。そして、それから四日後には兄嫁も亡くなりました。この時にはつくづく戦争、原子爆弾を恨みました。温品の山で兄たちを自分の手で荼毘に付さねばならなかった無念は、生涯忘れることはないでしょう。結局、兄一家三人は、強い放射能を浴びたための死とのことでした。

 

八月十五日、私は終戦のラジオを聞きながら、空襲がなくなり、安心して外を歩けるようになって良かったと、安堵しましたが、敗戦の悔しさや悲しさに涙が出ました。この戦争で三人の身内を亡くした母のやるせない気持ちを思うと共に、敗戦後に不安を感じながらも、命のあったことをとてもうれしく思ったのも事実です。私たちはこの後、小町の家のこと、母のことなどが気になりながら、次の年の春、後ろ髪を引かれる思いで広島を後にし、夫の待つ東京へと戻って行きました。その後は、福山に住んでいた次兄が自分の仕事の合間を見ては温品に駆け付け、亡くなった兄一家の後始末、そして母の面倒をしっかりと見てくれました。・・・八十四歳

 

被爆60周年記念証言集「平和を祈る人たちへ」より

チタン製の延長器具。

バイク乗りとしてはヨダレが出るチタンという響き。
一般的に体内に入れる(手術で)金属はチタンです。
今回それをもらってきたのでご紹介します。

最近のトマトくん
器具を外しただけの手術なのでお家に帰って
そこまで気を使わずに元気に生活しております。

問題点としては抜糸がまだなため見た目が…
本人もちょっと怖がっているのでお風呂の前の
鏡は通過するようにそこだけ気を遣っています。

延長機のときは1ヶ月入院してて退院のときには
ある程度髪が伸びていたのと、器具もちょびっと
出ているだけだったのでそれに比べると…。

写真は下の方に載せておきますね…。

さて延長器具。
頭の中に潜っていた方はこんな感じです。
青い輝き。

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ネジで固定

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前回入院時に延長機をくるくる回した器具。

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前回退院時に折り取った延長器の先っぽ。

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机のボールペンはトマト君の落書きです…。

延長器を見てるとよくこんなのが入っていたよなぁ
っとすごく感心するとともに、これがない時代に
トマト君が生まれていたらどうなったのかな…とも。

これを外すに当たり、どこかで頭をぶつけた際に
カポンっと延長器でずらした後頭部の骨が外れたり
しないのかとドキドキします…実際はないでしょうが。

さて、最後に最近のトマト君の頭。
上から
勝利のカチューシャですね…
ここを3回もきったり縫ったり…。
よく頑張りました
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延長器の出ていた部分
オデキっぽくなっていたところも臭かったのも
きれいに無くなり縫われています(MAX3針)

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ここらへんをお風呂で洗われるの嫌がっていたので
もしかしたら術前は石鹸とかがしみていたのかも。
今は全然なにも言わなくなりました。

正面から
すごく縦長に見えますが奥行きが出ていないだけで
きれいな形をしています。

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毎日軟膏を縫ってきれいきれい。
もうすこしで抜糸です。



 

骨延長器の抜去手術無事終了。

雨がしとしとの毎日。
せっかく富士山が絶景の病室だったのですが
富士山がほぼ見れませんでした…がっかり…。

トマトくんの手術はあっという間に終わりました。

今回は形成の先生が主導。
手術は3番目13時半から3時間ぐらい。

6時半ぐらいに起床。
7時にパン2枚ジャム2個1枚完食。
しばらくプレールームで遊んだりのんびり。
11時に術前最終飲物アルジネートウォーター瞬殺。
13時ちょい過ぎにお迎えの看護師さん。
ちょっとグズったものの悟ったのかおとなしく
銀座線に乗り込んでエレベーターへ。
↓銀座線↓

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今までの手術は手術室前まで行って、家族待機室で
待機だったのだけど、今回は病室待機。
お昼寝してたらあっという間に戻ってきました。

戻ってきたときは麻酔のせいでちょっと錯乱気味。
3時間ほど寝て意識が戻りました。
水を飲み、遅めの夕食。
胃の動きがイマイチだったみたいで全部嘔吐。
少しだけお散歩して、眠りにつきました。

拘束帯も最初は嫌がりましたが最終的には着用。

翌日は何もなかったかのようにいつものトマト君。
朝からご飯もぼちぼち食べ元気に遊んでいました。

ようやくここまで来ました…。
あとは12月頭に抜糸があり終了かな…。 

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